浅草寺歳の市のポスターは、例年華やかで目を引く素敵なもの、このポスターを見るといよいよ今年も終わりだなーと思うのです。
でも待てよ、歳の市のポスターの左下に「羽子板市」の名前もあるではありませんか!
「歳の市」と「羽子板市」、二つ名前があるけど、どうしてなのでしょうか?
これは江戸時代、 年末年始に使うものを売る市を「歳の市(としのいち)」と言い、このうち羽子板を商う市を「羽子板市(はごいたいち)」と呼んでいたことに由来するのです。
そこで、今回は歳の市と羽子板市の歴史をたどってみたいと思います。
【浅草羽子板市 目次】 その1:羽子板市の歴史(前編) / その2:羽子板市の歴史(中編) / その3:羽子板市の歴史(後編) / その4:羽子板ってなに?(前編) / その5:羽子板ってなに?(後編) / その6:羽子板市に行ってみました① / その7:羽子板市に行ってみました② / その8:ガサ市に行ってみました
浅草歳の市と羽子板市
12月17・18・19日の三日間、浅草寺五重塔周辺で羽子板市が開かれます。
前にも述べた通り、江戸時代には 年末年始に使うものを売る市を「歳の市(としのいち)」と言い、このうち羽子板を商う市を「羽子板市(はごいたいち)」と呼びました。
そこで今回は、「歳の市」の歴史をたどってみましょう。
歳の市とは?
江戸の百万人ともいわれる市民の七割が町人にとって、年末年始は非日常的で特別な行事が目白押しの楽しい時期でした。
この際に必要なものを買い求めるのが歳の市、まさに年末年始の最初の行事だったのです。
「新年の儲けとて注連飾りの具、庖厨の雑器破魔弓手鞠羽子板等の手遊び、其余種々の祝器をならべ、」(『東都歳時記』)たと記されています。
ちょっと意外ですが、じつは江戸市中のいたるところに歳の市は立っていました。
その中でも名が知れていたものをあげると、12月14・15日の深川八幡宮、17・18日の浅草観音、20・21日の神田明神、22・23日の芝神明社、24日の芝愛宕神社、25・26日の平河天満宮、27・28日の薬研堀不動と順々に市が立ち、参拝者が諸々の道具を買い求めました。
そのほか、江戸時代に有名だった12月末の日本橋四日市「才蔵市」も同様のものといえるでしょう。
あまた開かれた師走の市のなかでも、浅草観音の境内で開かれた市は「歳の市といえば浅草観音」と言われるほど名が通っていたのです。
ちなみに歳の市では、買う品物が注連飾りや裏白、楪などの品は縁起物でもあるので 、値切らずに買い求めるのが吉といわれており、これらを商う人の声は景気づけもあって威勢が特によかったそうです。
ここまで現在同時に開かれている浅草歳の市の歴史をだどってきました。
次回では、もっと詳しく浅草歳の市の歴史を見ていきたいと思います。
【浅草羽子板市 目次】 その1:羽子板市の歴史(前編) / その2:羽子板市の歴史(中編) / その3:羽子板市の歴史(後編) / その4:羽子板ってなに?(前編) / その5:羽子板ってなに?(後編) / その6:羽子板市に行ってみました① / その7:羽子板市に行ってみました② / その8:ガサ市に行ってみました
コメントを残す