前回みたように、アルメイダ修道士をはじめとする宣教師たちが、次々と五島を訪れました。
今回は、宣教師たちが記録した五島の暮らしを、ルイス・フロイス著『日本史』からみてみしょう。
苦しい生活
五島を訪れた宣教師たちは、五島の生活について様々な報告をしていました。
フロイスは、「そこ(五島)は魚と塩だけが豊富なところで、肥後と肥前の国はここから塩とか魚油とか、干物や塩漬けの魚の供給を受けている。」「一般に住民は貧乏である。」とか、「(島民は)非常に貧しく」とか「当地ははなはだ貧しく必需品にも事欠いている」などと記しています。(『日本史9』)
1568年(永禄11)に滞在した神父も、この島は甚だ不毛で塩と魚類のほか産せず、他の一切は他国から来るので、これより貧しい地はないと思われるほどに貧しく、何もかも欠乏している、と記しています。(1568年9月4日バラレッジョ書簡/通信下『日本地名大事典』)
島での苦しい生活を今に伝えてくれている一方で、彼らが布教する必要性を本国にアピールする狙いがあるのでしょう。
島の優雅な人たち
その一方で、「そこの住民は海の真只中の孤島に離れ住んでいるにもかかわらず、言葉が洗練されていること、相互間の交際、挨拶、礼儀作法を守ること、身なりが立派なことなどにおいて、彼らが取引している他の国になんら劣りはしない。」(『日本史9』)とも言っていますが、これは上級家臣たちに限ったことなのかもしれません。
五島の暮らし
そのほかに島の人々が疱瘡(天然痘)をひどく恐れていることなども記されているのですが、面白いのがくしゃみの話です。
「くしゃみをすることを極度の凶兆とみなしている」ので、たとえもし領主からのお召があったとしても、くしゃみをしたという理由で取りやめになるし、もし出仕中にくしゃみをすれば、その日は殿と話しできないというから驚きです。(以上『日本史9』)
海賊の伝統
また、平戸の住民たちと相互に海賊行為に近いことを行っている記述があるのは私にとって意外でした。
それによると、ある日突然、平戸の住民が五島で略奪行為を行いました。
苦闘の末、住民たちは協力してこれを追い払いますが、略奪者は金品を抱えて逃走したのです。
もちろん、すぐさま追跡したのですが、途中で見失ってしまいました。
そこで、五島の住民は、報復としてたまたま近くにあった平戸の村を強襲、略奪行為を行って島へと引き返したのです。
この記録は、現在の私たちからみると考えられない話なのはいうまでもないでしょう。
しかし、当時の中世日本は自力救済の世界ですから、このような行為は五島に限ったものではありませんでした。
それにしても、この記録からは倭寇につながるものを感じずにはおれません。
ここまでルイス・フロイスの『日本史』で描かれた五島の様子をみてきました。
次回からは、豊臣秀吉のもとに組み込まれていく五島の歴史をみていくことにしましょう。
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