大相撲の成立 相撲の歴史④

大相撲 目次大相撲とは?[相撲の歴史]①相撲誕生と相撲節成立 ②鎌倉・室町・戦国時代の相撲③織田信長と相撲④大相撲の成立⑤近代の相撲 ⑥現在の相撲

 江戸時代になると戦争のない平和な時代を背景に娯楽としての相撲が定着します。

寺社の祭礼の折に開かれる「祭礼相撲」や、全く営利的な「辻相撲」が各地で盛んに行われていきました。

岡敬孝編『古今相撲大要』(明治18年 攻玉社 国会図書館デジタルコレクション)の画像
【岡敬孝編『古今相撲大要』明治18年 攻玉社 国会図書館デジタルコレクション
将軍家斉(在職1787~1837)の上覧相撲(寛政3年6月11日)の土俵。】

 そんな中で、先に整備された相撲故実は行司の手によって伝承され、相撲を同じスタイルとルールで行わせる役割を果たしていくことになります。

江戸時代初めに用いられ始めた土俵も、その設定が故実としてルールに組み込まれたことで広く普及したのです。

結果的に、相撲が盛んになるにつれて故実をつかさどる行司の地位を高めるとともに、相撲のクラス分けが進んでいきました。

ついに、幕府からの公許や(相撲のルール・相撲故実を整備した)吉田家の権威を背景に、天明・寛政期(1781〜1801年)には江戸に相撲会所が作られています。

ここに、職業力士を組織して「大相撲」が成立したのです。

玉園「(勧進大相撲)」(1865【部分】)の画像。
玉園「(勧進大相撲)」1865【部分】
寺社で行われた勧進大相撲の様子が良く分かります

また、大相撲は勧進相撲の形をとったので寺社奉行の管轄で、芝居や見世物などの芸能と同じように興行を出願して許可を得たうえで行うことになっていました。

ですので、相撲番付に「蒙御免」と大書するのは、寺社奉行の許可を得たことを示すもので、現在でも風習化して残っています。

開催場所が定まらなかった大相撲ですが、相撲会所成立とともに両国回向院での開催が多数となります。

また、安永8年(1778)には老中・田沼意次から開催期間を八日間から「晴天十日」に延長する許可がおります。

「(勧進大相撲)」(勝川春亭、1796 大英博物館)の画像。
【「(勧進大相撲)」勝川春亭、1796 大英博物館】
勝川春英「小の川 谷風 」(1795年頃 メトロポリタン美術館)の画像。
【勝川春英「小の川 谷風 」1795年頃 メトロポリタン美術館】

この頃に谷風と小野川の強豪力士が競うなかで相撲人気が大いに高まり、のちに第一次黄金時代と呼ばれる盛況を迎えます。

相撲人気を背景に、天保4年(1833)からは大相撲は両国回向院の定場所となり、相撲の町・両国が発展していくことになりました。

こののち、大阪、京都にも同様の会所ができ、大関・横綱称号の使用など体制が整理されて、しだいに大相撲の地位が確立していったのです。

そしてこの時代に江戸では両国・回向院で春と冬(幕末以降は春と夏)の二度、「晴天十日」に限っての興行が江戸っ子の人気を集めました。

その大相撲人気を示すのが「相撲錦絵」と呼ばれる浮世絵です。

その内容は人気力士の肖像や取組、日常生活など、相撲にまつわるさまざまな事柄と多岐にわたっていて、いかに大相撲が江戸っ子たちに愛されていたかがうかがえます。

「太鼓、場所入、門前の図」(立川斎国郷(若狭屋与一、安政3年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「太鼓、場所入、門前の図」立川斎国郷(若狭屋与一、安政3年)国立国会図書館デジタルコレクション】

相撲人気が高まったことと相撲の社会的地位が向上したことで、有力な力士たちは大名家に召し抱えられて禄を与えられていました。

大相撲が大名家の威信をかけた戦いの場にもなっていたのです。

次回では、いよいよ近代の相撲黄金期を見ていきたいと思います。

この文章を作成するにあたって以下の文献を参考にしました。(順不同敬称略)

大島建彦・大森志郎ほか編『日本を知る事典』1971社会思想社、日本風俗史学会編『日本風俗史事典』1979弘文堂、西山松之助・郡司正勝ほか編『江戸学事典』1984弘文堂、福田アジオ・新谷尚紀ほか編『日本民俗大辞典』1999吉川弘文館、小木新造・陣内秀信ほか編『江戸東京学事典』1987三省堂、石川弘義・有末賢ほか編『大衆文化事典』1999弘文堂、木村茂光・安田常雄ほか編『日本生活史事典』2016吉川弘文館、神崎宣武・白幡洋三郎・井上章一編『日本文化事典』2016丸善出版

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