勝山と小笠原家の歴史イッキ見【勝山藩小笠原家編(福井県)③】

前回は勝山の地理的環境をみてきました。

今回は、勝山と小笠原家の歴史を年表形式で一気に見てみましょう。

平泉寺の栄光

養老元年(717)このころ泰澄が平泉寺を開基、白山参詣の玄関口となる。

寿永2年(1183)ころ 平泉寺長吏斉明、木曽義仲の呼びかけに応じて味方する。

建武5年・延元3年(1338)藤島城に立てこもった平泉寺衆徒を新田義貞が攻めるも、逆に討ち死する。

室町時代 越前守護斯波氏、のち戦国大名朝倉氏の保護を受けて、平泉寺が全盛期を迎える。

嘉吉2年(1441)小笠原家の家督をめぐり、嘉吉の内訌が起こる。

勝山誕生

天正元年(1573)朝倉義景、大野で自害して戦国大名朝倉家滅亡する。

天正2年(1574)加賀・越前の一向一揆、村岡山に拠り平泉寺を焼き尽くす。村岡山を勝山と名付ける。

   越前一向一揆が織田勢を駆逐して、「百姓の持ちたる国」となる。

天正3年(1575)柴田勝家、北ノ庄に入り、一族の柴田義宜、北袋を支配する。

天正8年(1580)勝安、袋田村に築城、勝山城と名付ける。

天正11年(1583)柴田勝家、北ノ庄に滅ぶ。成田重政、勝山城代となる。

結城秀康(Wikipediaより20210119ダウンロード)の画像。
【結城秀康(Wikipediaより)】

結城秀康と子供たちの時代

天正19年(1591)北ノ庄の堀秀治、勝山を直轄する。

慶長3年(1598)青木一矩、北ノ庄城主となる。6~7月、太閤検地実施。

慶長5年(1600)小笠原信之、徳川秀忠のもとで上田城攻撃に参加。

慶長6年(1601)結城秀康、越前国主なる。秀康の家臣、林長門、勝山城代となる。

慶長17年(1612)松平忠直によって林長門追放されて勝山には代官水戸三七、矢野伝右衛門派遣される。

寛永9年(1624)秀康の6男松平直基、勝山3万石の領主となる。

寛永12年(1635)秀康の7男・越前木本城主松平直良が勝山城主となる。

小笠原家勝山藩

元禄4年(1691)小笠原貞信、美濃国高須より移封、勝山城主となる。

元禄9年(1696)勝山藩1町7ヵ村に検地を実施。

元禄10年(1697)藩内農民・町人、年貢減免を要求し、逃散と江戸越訴を企てる。

宝永5年(1708)幕府より勝山城再建の許可を得る。

元文2年(1737)藤田太兵衛事件発生する。

明和8年(1771)藩検見取制布達、百姓一揆により中止する。

寛政8年(1796)浄土寺川氾濫し大杉沢騒動発生する。

寛政9年(1797)郷盛騒動起こる。

文化8年(1811)大杉沢騒動再発する。

文政5年(1822)勝山城内より出火して城の大半が焼失。

文政12年(1829)藩主長貴、若年寄に就任。

「林毛川翁肖像」(
『林毛川』福井県大野郡勝山町教育会 編集・発行、大正14年、国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【「林毛川翁肖像」『林毛川』福井県大野郡勝山町教育会 編集・発行、大正14年、国立国会図書館デジタルコレクション 】

林毛川の藩政改革

天保11年(1840)林毛川、勝山藩家老となる。

嘉永元年(1848)長山に講武台の建設工事始まる。

嘉永6年(1853)煙草改会所設置される。

安政2年(1855)安政江戸地震で江戸藩邸大破、林毛川処罰される。

勝山藩の幕末維新

文久3年(1863)藩兵制を長沼流からオランダ式に改める。

慶応元年(1865)勝山藩、京都太秦方面を警衛する。

慶応2年(1866)勝山藩、京都市中警衛する。

慶応3年(1867)藩兵制をイギリス式に改める。藩兵、竹田街道を警衛する。

慶応4年・明治元年(1868)鳥羽伏見の戦いで大和闇峠に出陣する。

        新政府に弾薬2万発を献納する。

明治2年(1869)版籍奉還し、藩主長守、知藩事となる。

明治4年(1871)廃藩置県により、勝山藩消滅する。

小笠原長育の活躍

明治13年(1880)小笠原子爵家久松町邸、大火で焼失する。

明治19年(1886)長育、明宮(のちの大正天皇)侍従となる。

明治23年(1890)長育、貴族院子爵議員に当選するものの辞退する。

明治26年(1893)長育、「尚武須護陸」を発案する。

明治28年(1895)長育、急逝する。

小笠原勁一(Wikipediaより20211006ダウンロード)の画像。
【小笠原勁一(Wikipediaより)】

小笠原子爵家の終焉

大正8年(1919)貴族院議員小笠原勁一、スペイン風邪により急逝する。

        牧四郎、小笠原子爵家を襲爵する。

大正14年(1925)牧四郎急逝。0歳の長男・長定襲爵。

昭和20年(1945)終戦

昭和22年(1947)華族制廃止により小笠原子爵家廃爵となる。

今回は、越前勝山と小笠原家の歴史をイッキに見てきました。

そこで次回からは、じっくりと歴史のポイントをみていきましょう。

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