新宮水野家浄瑠璃坂上屋敷跡を歩く・前編【紀伊国新宮水野家(和歌山県)57】

《最寄り駅:JR中央線・東京メトロ南北線・有楽町線・都営新宿線 市ヶ谷駅》

「武家屋敷名鑑」によると、安政2年(1855)新宮水野家は市ヶ谷浄瑠璃坂に上屋敷、深川越中島と市ヶ谷浄瑠璃坂に拝領中屋敷、市ヶ谷原町に拝領下屋敷、深川森下町に町並屋敷、神田富山町1丁目に町屋敷を持っていました。(『江戸幕藩大名家事典』)

そのうち今回は、市ヶ谷浄瑠璃坂の上屋敷と中屋敷跡、現在の東京都新宿区市谷砂土原町1丁目を歩いてみましょう。

なお、コースは地下鉄南北線市ヶ谷駅5・6番出口を出発・終着とするコースで、全長約1㎞です。

水野家浄瑠璃坂上屋敷コースマップ の画像。
【水野家浄瑠璃坂上屋敷コースマップ 】

《グーグルマップは東京都新宿区市谷砂土原町1丁目の浄瑠璃坂を指しています。》

市ヶ谷駅

市ヶ谷駅にはJR中央線、東京メトロ南北線と有楽町線、都営新宿線の4路線が乗り入れています。

すこし連絡路が複雑ですが、南北線市ヶ谷駅の5あるいは6番出口を目指しましょう。

ここから地上に出ると、南側に江戸城の外濠と外堀通りがみえてきました。

ここで、5番出口と6番出口の間を北に向かう道を進みます。

するとすぐに、日本福音ルーテル市ヶ谷教会が正面に見えてきました。

この教会が新宮水野家浄瑠璃坂上屋敷の南東部にあたっています。

外堀通りからみた浄瑠璃坂の画像。
【外堀通りからみた浄瑠璃坂】

日本福音ルーテル教会

ルーテル教会とは、1517年にマルチン・ルターの宗教改革により、ドイツで誕生しました。

その後、ルーテル教会は、ドイツだけでなく、北欧にも広がって、国民教会となったのです。

さらに、アメリカに渡ったのをはじめ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカへと広がって、今では世界中で活動を行っています。

おもに17世紀にドイツやオランダ・北欧から、北アメリカの東部に開拓者として多くのルター派の教会員が入植しました。

その後、ドイツなどから牧師が派遣されて、教会の組織が正式に整えられていったのです。

このアメリカのルーテル教会から、1892年に最初の宣教師が送られて、日本におけるルーテル教会の伝道が開始されるとともに、日本福音ルーテル教会が設立されました。

マルティン・ルター(Lucas_Cranach_(I)作、Wikipediaより20220225ダウンロード)の画像。
【マルティン・ルター(Lucas_Cranach_(I)作、Wikipediaより)】

ルーテル教会の日本布教

日本でのルーテル教会の伝道は、佐賀から始まりました。

1893年の復活祭(イースター)で、アメリカ南部一致シノッドから派遣された宣教師シエラ―とピーリーによって礼拝が行われたのです。

その後、大正 年には、九州を中心に3府7県に11教会、20講義所、伝道師11人、宣教師32人、日曜学校生徒2,024人・教師117人の規模にまでなっています。(『基督教年鑑・大正11年版』)

そして、伝道とともに教育事業も行われて、各地に教会と附属幼稚園を築くとともに、九州学院と九州女学院が設立されます。

また、熊本には慈愛園(孤児院・婦人救済事業)と東京老人ホーム(養老院)を設立するなど、社会福祉においても先進的な取り組みを行っていきました。

そして、市ヶ谷に教会が設立されたのは、昭和28年(1953)のこと。

以来、教会はもちろん、パイプオルガンを備えた音楽ホールや結婚式場としても人気を集めています。

ここまで浄瑠璃坂下にある日本福音ルーテル市ヶ谷教会についてみてきました。

次回からは浄瑠璃坂と、江戸時代に起こった大事件、浄瑠璃坂の仇討ちについてみてみましょう。

《日本ルーテル福音協会と市谷教会については、日本福音ルーテル教会Webサイト、『基督教年鑑 大正11年』にもとづいて執筆しました。》

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