いよいよ年の瀬、薬研堀不動(東京都中央区東日本橋2丁目6-8)周辺で「歳の市」と「大出庫市(おおでこいち)」が始まりました。
前回は、歳の市と大出庫市の様子をお伝えしました。
そこで、今回はその歴史を見てみましょう。
【薬研堀不動 納めの歳の市と大出庫市 目次】①薬研堀不動 歳の市・大出庫市に行ってみました / ②薬研堀不動尊 歳の市と大出庫市の歴史
毎月28日が不動尊の縁日、一年で最後の縁日がこの「納めの歳の市」です。
他の月の縁日はさびれましたが、年の暮れの縁日は 現在も大いににぎわっています。
さて、歳の市は年末年始に使うものを商う市、江戸市中のあちこちで開催されていました。
江戸時代の末には、一年で最後の縁日で、この薬研堀歳の市が江戸で最後なので、「納めの歳の市」という名称が定着したようです。
この市は規模が大きかったので、商う品物別にエリアが分かれていました。
かつては羽子板を商う店が集まった「羽子板市」、衣料品の「大出庫市(おおでこいち)」などがあったことが知られています。
江戸の各地で行われていた羽子板市は、浅草羽子板市の項で見たように すっかり廃れてしまって、現在は浅草のみが残る状況になってしまいました。(「浅草 羽子板市の歴史」参照)
そこで令和改元を祝して人形の老舗・吉徳大光がかつての羽子板の棚懸を復活させて下さり、往時の様子を偲べるようになったのです。
江戸時代より木綿問屋の集まる横山町に近いこともあり、衣料品関係を商う「大出庫市」は大いににぎわってきた歴史を持っています。
ですので、元来は出庫市は問屋の棚卸品を安売りするバーゲンセールを指していましたが、薬研堀歳の市の影響で大規模化したのが「大出庫市」で、これを現在は東日本やげん堀商店会が主催しています。
ところで、大出庫市を見渡すと、 野菜や海産物、化粧品や木製器具の露店があるのが分かります。
ここに、かつて江戸の各所で行われていた、年越しの品を扱う歳の市の名残を見ることができるのです。
金杉通りの歩道が再整備される前、15年ほど前まで大出庫市は、一本東の裏道で行われるなど、規模がもっと大きかったのです。
そのころは、道の両側にびっしり並んだ露店、狭い通路を押し合いへし合いして通る大勢の客、そんな光景が夜半までずっと続いていました。
1時間も歩くとへとへとになってしまうのですが、私はこの雰囲気が好きでした。
現在も看板に残る「スリにご用心!」のメッセージも実際スリが多数出ていたこのころの名残なのです。
私は、「大出庫市」は江戸の歳の市を偲ぶことができる、貴重なイベントだと思います。
みなさんも薬研堀 納めの歳の市と大出庫市で、江戸時代の名残を味わってみませんか?
【薬研堀不動 納めの歳の市と大出庫市】①薬研堀不動 歳の市・大出庫市に行ってみました / ②薬研堀不動尊 歳の市と大出庫市の歴史
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