東京誕生前夜・江戸府が設置された日

6月30日は、1868年(明治元年5月12日)に地方行政官庁の江戸府がおかれた日です。

江戸から東京、さらに現代への歴史を、府制からみてみましょう。

江戸府時代

明治新政府は、それまで諸大名による封建的割拠体制を廃止して、天皇を中心とする中央集権体制をめざしました。

そこで、明治元年(1868)閏4月に政体書を交付して、いわゆる府藩県三治の制を定め、地方を府、県、藩に分けました。

旧幕府直轄地の中から重要な大都市や地方都市に府を設置することにしたようで、当初設置された府は、函館府、江戸府、神奈川府、越後府、度会府、京都府、大阪府、長崎府の8府でした。

江戸城が無血開城して江戸の町とあわせて明治新政府に引き渡されると、明治元年5月12日(1868年6月30日)に地方行政官庁として江戸府が設置されました。

徴士の河田佐久馬と土方大一郎、軍監の江藤新平と小笠原唯八らが江戸府判事兼任を命じられるとともに、5月24日には三等陸軍将・烏丸光徳が江戸府判事に任じられたのです。

初代東京府長・烏丸光徳(『東京府史 行政片第1巻』東京府 編集・発行、昭和10年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【江戸府判事、初代東京府長・烏丸光徳(『東京府史 行政片第1巻』より)】

しかし、そのすぐ後の閏5月19日に江戸城内に江戸鎮台を設置して旧来の勘定・町・寺社の三奉行を配して民政・市政・社寺の三裁判所を設置します。

このうち、市政裁判所が旧町奉行の事務を引き継いで、事実上府政を取り扱うこととなり、江戸府は名目的な組織となってしまいます。

しかも、明治元年7月17日(1868年9月3日)には「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」と詔勅が出されて、実質的に業務を開始する前に江戸府は廃止されることになったのです。

また同時に、江戸鎮台は廃止されて鎮将府となり、市政裁判所を廃して東京府に改められました。

東京府誕生

いっぽう、江戸府も東京府と名称を改められていますが、このときに市制裁判所から変わった組織と統合したようです。

翌8月に府庁を幸御門内柳沢甲斐守邸(旧大和国郡山藩上屋敷)、現在の千代田区内幸町1丁目に置いて、府職制を定めて開庁、初代府知事は烏丸光徳が任命されました。

開設時の東京府庁(『東京府史 行政片第1巻』東京府 編集・発行、昭和10年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【開設時の東京府庁(『東京府史 行政片第1巻』より)】

ちなみに、東京府の外周地域は、三人の代官が支配していましたが、それぞれ武蔵知県事と名称を変えただけで、そのままでした。

翌明治2年(1869)はじめに、この三地域はそれぞれ品川県、小菅県、大宮県と改称しています。

東京府は、これまでの名主制度を廃止、市街地と農村部の境となっていた朱引も見直して、市中五十番組、郷村地を地方五番組に編成して区画を設けました。

廃藩置県前の東京府と周辺の状況(『東京府史 行政片第1巻』東京府 編集・発行、昭和10年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【廃藩置県前の東京府と周辺の状況(『東京府史 行政片第1巻』より)】

明治4年(1871)11月には、廃藩置県が実施された影響で、品川県、小菅県、大宮県が廃止されて東京府も再編されて、京都府、大阪府とともに府制を敷くことになります。

また、翌明治5年(1872)にかけての再編成で、東京府はほぼ現在の東京23区域にまで拡大しました。

このとき、府下は11大区103小区となったものの、わかりにくく不評だったために、明治11年(1878)7月に府下を15区6郡制に改めました。

15区とは、麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川です。

新設された6郡とは、荏原、東多摩、南豊島、北豊島、南足立、南葛飾。

この年、伊豆七島が静岡県から東京府に移管され、さらに明治13年(1880)には小笠原諸島が内務省から同じく東京府に移管されました。

15区8郡制の成立

その後、明治22年(1889)5月に市制町村制が導入されると、15区は東京市となるいっぽう、6郡内は389町村が統合されて、9町76村となっています。

さらに、東京市の飲料水の大部分をまかなう玉川上水の水源確保を名目に、神奈川県から北多摩、西多摩、南多摩の3郡が東京府に移管されて、東京府はほぼ現在の東京都と同じ領域となりました。

じつはこの移管は、自由民権運動の激しい地域を神奈川県から切り離して勢いをそぐのが真の目的だったともいわれています。

東京府庁(『地理写真帖・内国之部 第2帙』野口保興 編(東洋社、明治33年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【東京府庁(『地理写真帖・内国之部 第2帙』より)】
東京府庁(『東京百建築』黒田鵬心 編(建築画報社、大正4年)国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【東京府庁(『東京百建築』より)】

明治27年(1894)には新しい府庁舎が麹町区有楽町に完成して、内幸町から移転しました。

明治29年(1896)に、東多摩郡と南豊島郡が合併して豊多摩郡となり、東京府は15区8郡制となっています。

大東京誕生と東京府消滅

大正12年(1923)に関東大震災が起こると、都心部からの移住により近郊郡部の都市化が急速に進みました。

この状況を受けて、昭和7年(1932)に東京市は隣接する郡部82町村を合併して新たに20区を設置します。

この時設置されたのが、品川、荏原、大森、蒲田、目黒、世田谷、渋谷、淀橋、中野、杉並、豊島、板橋、滝野川、王子、荒川、足立、葛飾、向島、城東、江戸川の20区です。

大東京市地図(『東京府史 行政片第1巻』東京府 編集・発行、昭和10年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【大東京市地図(『東京府史 行政片第1巻』より)】

こうして「大東京」が誕生して、東京府は35区からなる東京市と、北・西・南の多摩郡となりました。

さらに、昭和18年(1943)には、戦時防衛体制の一環として首都行政の一元化を目指し。東京都制が導入されることになりました。

そこで、7月1日をもって東京府と東京市は廃止されて、これまでの東京府の区域を所管する東京都が誕生します。

さらに敗戦後の昭和22年(1947)には、東京35区が再編されて、現在の23区が誕生しました。

東京15区や35区にも驚きますが、東京都が戦時下で誕生していることには非常に衝撃的ではないでしょうか。

江戸府からはじまって、東京府、そして東京都へとつながる歴史を、もう一度見直すべきなのかもしれません。

東京府庁(『東京府勢概要 昭和12年』東京府総務部調査課 編集・発行、昭和12年 国立国会図書館デジタルコレクション)の画像。
【東京府庁(『東京府勢概要 昭和12年』より) 関東大震災では被害を受けなかった庁舎も、東京山手空襲で焼失しました。】

(この文章は、『東京府史 行政片第1巻』(東京府 編集・発行、昭和10年)および『国史大辞典』『明治時代史大辞典』を参考に執筆しました。)

きのう(6月29日

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明日(7月1日

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