豊竹屋 花林胴八ゆかりの地を歩く

鳥蔵柳浅の古典落語を歩く、今回は前回に続いて「豊竹屋(とよたけや)」。

ついでと言っては何ですが、花林胴八の住んでいた三筋や小島と三味線堀を探訪してみましょう。

斎藤茂吉歌碑の画像。
【斎藤茂吉歌碑。保育園の園庭に立っています。手前に説明板があります。】

まず、斎藤茂吉歌碑(東京都台東区三筋一丁目5、三筋保育園園庭)を見ておきましょう。

昭和を代表する歌人で、作家の北杜夫の父としても知られる斎藤茂吉ですが、若き日に上京後しばらく三筋にあった叔父の家に暮らしていました。

そのおじさんの家があったのがこの辺りなんだそうです。

そこから南に行くとほどなく、超高級洋傘で著名な前原光榮商店があります。

ロゴマークのトンボがかわいらしいです。

トンボ洋傘前原光榮商店の画像。
【トンボ洋傘前原光榮商店。昔からものつくりの盛んな町 三筋の生んだ逸品です。】
トンボ洋傘前原光榮商店のロゴの画像。
【トンボ洋傘のロゴ。何とも言えずかわいらしいですね。】

その少し南西には、地元民が愛してやまない銭湯、三筋湯があります。

銀色に光る煙突が三筋の町のランドマークでした。

三筋湯の画像。
【地元民がこよなく愛する銭湯 三筋湯。かつて地域のランドマークであった銀色に輝く煙突も、マンションが増えて目立たなくなりました。】

三筋や小島には、見事な植栽で飾られた路地が多く残り、道行く人の目を楽しませてくれます。

これはきっと、江戸時代から続く園芸文化が広く受け継いでいる成果なのですね。

三筋二丁目の路地の画像。
【三筋二丁目の路地。住民の方が丹精した植栽がすばらしいです。季節の花々は、町に潤いを与えてくれます。これも、世界に誇る江戸時代の園芸文化の名残なのかもしれません。】

花林胴八の家も、見事な植栽でかざられていたのかもしれません。

一方で、三筋は皮鞣しや彫銀、紙関連など多くの職人さんが暮らす街でもありました。

いわゆる典型的な下町、現在ではめっきり少なくなってしまいましたが、静かな町にかすかな工作機の音が聞こえる情景は胴八たちの時代を思い起こさせてくれます。

小島教育館(三味線堀跡)の画像。
【三味線堀跡に建つ小島教育館。外観だけでなく、内部も昭和の香りを色濃く残しています。
どこか懐かしい感じがする地域のランドマークです。】
三味線堀跡の説明板の画像。
【小島教育館の壁面に取り付けられた三味線堀の説明版。
前にあったのは写真付きでしたが、現在のものは文字のみですが二か国語対応です。】

西へさらに600mほど歩いて。

かつての三味線堀は埋め立てられて小島社会教育館が建(東京都台東区小島一丁目5)てられており、建物の南西角には説明版がはめ込まれています。

小島社会教育館は、今ではすっかり見かけなくなった昭和の香りを色濃く残す建物です。

室外機が各部屋の外に突き出す光景は、どことなくアジアの町角や昭和の時代を思い起こさせてくれます。

佐竹商店街南入り口の画像。
【佐竹商店街の南入り口。右に説明板があります。
佐竹商店街は、かつての秋田藩佐竹家の上屋敷跡にあたります。】

清州橋通りを挟んだ隣には、佐竹商店街があります。

アーケードの連なる商店街は、どことなく懐かしさを感じさせてくれ、映画やドラマの撮影によく使われているので、みなさんも目にしたことがあるかもしれませんね。

みなさんも古典落語「豊竹屋」ゆかりの三筋・小島界隈に出かけてみてはいかがでしょうか?

「座頭竹の市」(一勇斎国芳(太田屋多吉、1848)大英博物館)の画像。
【「座頭竹の市」一勇斎国芳(太田屋多吉、1848)大英博物館】

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