現在の大相撲 相撲の歴史⑥

相撲の歴史 目次大相撲とは? [相撲の歴史]①相撲誕生と相撲節成立②鎌倉・室町・戦国時代の相撲③織田信長と相撲④大相撲の成立⑤近代の大相撲⑥現在の大相撲

戦後、大相撲はいち早く復活します。

日本の伝統の象徴でもある大相撲はGHQから圧迫されて、国技館が接収されてしまいました。

それにもめげず新国技館を建設し、土俵の4本柱を外して観客から見やすくするなど、大相撲の更なる近代化を進めていったのです。

実は、相撲規則が明文化されたのはようやく20世紀半ば、成立から400年ほど経ってからでした。

その中で示された「円形の土俵の中で、裸体にまわしを締めた2人の競技者が対戦し、足裏以外の体の一部が土俵内の地面につくか、身の一部が土俵外の地面についたら負け」と言う基本ルールがようやく文章によって規定されたのも大相撲の近代化を受けてのことでした。

そんな中、昭和28年(1953)からはテレビ中継がはじまり、栃錦・若乃花の活躍と相まって、見て楽しむスポーツの代表としての地位を確立します。

そして、日本の歴史の中で長く愛させてきた相撲の歴史・文化性は、目で見てわかるように工夫されてきました。

茶屋制度の改革、力士月給制の導入、部屋別総当たり制への変更、年6場所制導入など、時代のニーズに合わせて制度を変化させていきます。

前近代的なまげを結って、見るからに古い大相撲ですが、外国人力士の採用(高見山・小錦)や海外巡業など国際化への対応も務めています。

基本ルールは同じなのに、純粋に競技スポーツになったアマチュア相撲を「相撲らしくない」と考える人も多いようです。

競技スポーツとして国際化の道をたどるアマチュア相撲と、日本の伝統文化の象徴とされる大相撲には大きな違いが生まれています。

明治時代の靖国神社大祭余興大相撲興行の画像。
【明治時代の靖国神社大祭余興大相撲興行。 今と変わらぬ熱気に包まれています。
国立国会図書館デジタルコレクション】

大相撲は日本文化の象徴として海外からも高く評価されることになっています。

長い相撲と大相撲の歴史からは、変わらないためには大変な努力が必要だと学ぶことができました。

こうした意味でも、相撲はまさに日本の国技といえるでしょう。

張月樵(1817 大英博物館)の画像。
【張月樵、1817 大英博物館】

この文章を作成するにあたって以下の文献を参考にしました。

また、本文中では敬称を略させていただきました。

小瀬甫庵『信長記』1622、国立国会図書館デジタルコレクション、

大島建彦・大森志郎ほか編『日本を知る事典』1971社会思想社、

日本風俗史学会編『日本風俗史事典』1979弘文堂、

西山松之助・郡司正勝ほか編『江戸学事典』1984弘文堂、

小木新造・陣内秀信ほか編『江戸東京学事典』1987三省堂、

福田アジオ・新谷尚紀ほか編『日本民俗大辞典』1999吉川弘文館、

石川弘義・有末賢ほか編『大衆文化事典』1999弘文堂、

ルイス・フロイス著 松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史』(中公文庫、2000)、

木村茂光・安田常雄ほか編『日本生活史事典』2016吉川弘文館、

神崎宣武・白幡洋三郎・井上章一編『日本文化事典』2016丸善出版

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