前回まで視点を変えながら長谷川時雨という作家についてみてきました。
今回は私個人の彼女への思いを綴ってみたいと思います。
史上初の女性歌舞伎作家であり、雑誌『女人芸術』で後進を発掘し育成したことで高く評価される長谷川時雨。
その一方で、彼女は左傾化した雑誌を発行したかと思うと、右傾化した雑誌を編集したり軍部に協力したりと行動が理解できない面を持っていたことをこれまで見てきました。
振れ幅が大きく一貫性がない彼女の行動というのは、本人はあまり意識していなかったのではないか、と私は思うのです。
仏師・彫刻家の高村光雲『幕末維新懐古談』(岩波文庫、1995)を読んでいると、江戸っ子たちが政治や思想にまるで頓着しない、全く興味を持たない様子が描かれています。
光雲にみるように、江戸では政治というものは「お上」に任せるもの、といった意識が根強くあり、これが政治や主義思想への無頓着を生むベースになっているのです。
かつて朝の連続ドラマ「花子とアン」で、長谷川時雨をモデルとした「長谷部汀」という大御所女流作家が登場していました。
この彼女、藤真利子さんが演じる姿は美しくて知性と品格を感じる女性となっていて、自分的にはかなりいい感じだと感心したのです。
しかし、15年戦争がはじまると見事なまでに安易に、深い考えなしに時局に流されて積極的に戦争協力する姿に、主人公が眉を顰める、という筋書きでした。
この状況を放映時は複雑な思いで見ていたのですが、今ではまさに描かれていたとおりかもしれないと思っています。
前回見たように、悪く言えば軽薄で短慮、よくいえばさっぱりしているのは江戸っ子の特質でした。
そして、冒頭で見たように、長谷川時雨という作家は、江戸文化にどっぷりとつかって育っています。
ところが実は彼女が結婚により通油町を離れた明治30年以降、次第に町が変質してしまうのは緑橋編で見た通りです。
彼女が愛してやまなかった日本橋・通油町界隈を『旧聞日本橋』に書いたころには、もうその町は過去のもの、失われてしまっていたのです。
そしてまた、まさに江戸っ子という存在がそうであるように、彼女も彼女が愛した町もまた、時代の中に埋もれて消えていく運命にあったのかもしれません。
そして驚くべきことに、そのような状況にさえ頓着せず、気にせずさっぱりしている彼女の姿が見えてくるのです。
これって、ある意味ものすごく達観してると思いませんか?
私はこの事実に、底知れぬ恐ろさを感じずにはおれません。
その一方で、彼女に作品には全く違った側面があります。
ここまで何度も取り上げてきた『旧聞日本橋』は『女人芸術』の穴埋めに書かれた、自分が生まれ育った町についてのエッセーを集めた作品。
それとほぼ同時期の大正12年(1923)に刊行した子供向け絵本『動物自叙伝』(大正12年)が私は大好きです。
『動物自叙伝』のように彼女が意地を張っていない、いわば素の人間が出た作品には独特に温かみとやさしい眼差しが感じられて、それがまた私には愛おしくてたまりません。
私は、長谷川時雨という作家とその作品によって、江戸っ子や江戸文化の奥深さをはじめて窺い知ることができて、感動したのです。
現在、長谷川時雨という作家は生家跡(写真)に案内板の一つもない状況ですが、きっといつの日か多くの人が彼女の作品を通して人間のおかしさやすばらしさを見出す日が来るに違いない、いや来てほしい、私はそう強く思うのでした。
この文章を作成するにあたって、以下の文献を参考にさせていただきました。(順不同、敬称略)また、文中では敬称を省略させていただきました。
参考文献:『長谷川時雨全集』(日本文林社、1941~42)、『日本橋横山町馬喰町史』有賀祿郎編(横山町馬喰町問屋連盟、1952)、『中央区史 上巻・下巻』(東京都中央区役所、1958)、『江戸学辞典』西山松之助、南和男ほか編(弘文館、1984)、『江戸東京学事典』小木新造、陣内秀信ほか編(三省堂、1987)、『幕末維新懐古談』高村光雲(岩波書店、1995)、『長谷川時雨作品集』尾形明子編(藤原書店、2009)
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